はじめに

英国は、欧州市場への本格展開を検討する企業にとって、非常に実用性の高い参入市場であり、同時にベンチマーク市場でもあります。十分な市場規模、成熟した消費者層、高度に整備された小売インフラ、充実した市場調査環境、そして欧州大陸への本格展開に先立って商品や事業仮説を検証しやすいビジネス環境を兼ね備えています。

英国の人口は2025年6月30日時点で約6,950万人と暫定推計されており、商業面や消費者行動について有意義なデータを得るのに十分な市場規模があります。また、FMCG市場も大きく、ある市場調査では2025年の英国FMCG市場を2,662億ドル規模と推計しています

本記事では「ベンチマーク市場」を、欧州全体への展開に先立ち、商品と市場の適合性、価格設定、販売チャネル、パッケージ、ブランドのポジショニングなどを検証するために活用できる成熟市場という意味で使用します。

成熟した消費者層とテスト市場としての価値

英国は、商品コンセプトを検証する市場として特に適しています。消費者は幅広い商品選択肢に慣れており、プレミアム商品、プライベートブランド、健康を訴求した商品、サステナビリティを重視した商品など、さまざまな選択肢の中から商品を比較しています。そのため英国では、単に「商品が売れるか」を確認するだけでなく、どのような訴求や価格帯が消費者に受け入れられるのかまで検証できます。

サステナビリティや倫理的消費も、英国の消費者にとって引き続き重要なテーマです。一方で、現在は価格への敏感さやコストパフォーマンスも同時に重視されています。Deloitteによる英国のサステナブル消費に関する調査でも、購買判断におけるサステナビリティの重要性が示される一方、企業には持続可能な選択肢をより手軽で利用しやすいものにすることが求められています。

FMCGブランドにとって、これは重要なポイントです。英国市場では、サステナビリティという訴求だけで購買につながるのか、それとも味、健康、利便性、手頃な価格といった、より直接的なメリットと組み合わせる必要があるのかを検証できます。

また、英国はイノベーション型の商品や健康志向のカテゴリーを試す市場としても有用です。例えば、近年のプラントベース食品市場は、すべての商品が一様に成長する段階から、消費者がより慎重に商品を選ぶ段階へと変化しています。TescoはNielsenのデータを引用し、低迷していた冷蔵プラントベース食品の販売量が再び緩やかな成長に転じ、より自然で野菜を中心とした商品への関心が高まっているとしています。

つまり英国は、単に目新しい商品であれば受け入れられる市場ではありません。競争が激しく、消費者の目も厳しい市場だからこそ、その商品が本当に支持される価値を持っているのかを試すことができます。

集中した小売市場と充実したデータ環境

英国の食品小売市場は構造が明確で、比較的少数の大手企業にシェアが集中しています。そのため、新規参入企業にとっても、どの主要小売チャネルにアプローチする必要があるのかを把握しやすい市場です。

Kantarの食品小売市場シェアデータは、英国の主要小売企業の競争状況を把握する指標として広く利用されています。2025年のデータでは、Tescoが28.1%、Sainsbury’sが15.5%、Asdaが11.6%、Aldiが10.6%、MorrisonsとLidlがそれぞれ8.4%のシェアを占めています。大手スーパーの影響力が依然として大きい一方で、ディスカウントスーパーも重要な販売チャネルとなっていることが分かります。

この市場構造には、テスト市場としてのメリットもあります。英国での商品実績から、価格変更に対する消費者の反応、販促効果、リピート購入率、小売企業からの評価、販売チャネルとの相性などについて、比較的早い段階でフィードバックを得ることができます。

地域や国ごとに小売構造が大きく異なる市場と比べると、FMCG企業にとって英国は、商品を投入し、結果を確認しながら改善を繰り返す「テスト・アンド・ラーン」を実行しやすい市場といえます。

規制環境と欧州市場との関連性

英国は現在EU加盟国ではありませんが、欧州市場戦略を考えるうえでは依然として重要な市場です。食品や消費財を扱う企業の多くは、英国とEU双方の規制や要件を考慮しながら事業を進める必要があります。特に食品・飲料企業にとっては、規制や国境を越えた物流プロセスが引き続き重要な経営課題となっています。

英国政府によると、英国とEUは2025年5月、衛生植物検疫措置(SPS)に関する新たな協定の締結を目指すことで合意しました。この協定は、英国とEU間、さらに英国国内における商品の移動を、より容易で低コストかつ予測しやすいものにすることを目的としています。

また政府の案内では、SPS協定の実施時期として2027年半ばが想定されており、企業には今後も規制動向を継続的に確認することが求められます。

そのため、欧州市場への展開を計画する企業にとって、英国をEU市場の完全な代替として捉えるべきではありません。一方で、地理的・商業的に近い重要な市場であることに変わりはありません。英国での市場投入を通じて、表示内容、商品訴求、品質に関するポジショニング、販売チャネル、消費者への説明方法などを改善し、その知見をEU各国向けに調整していくことができます。

イノベーションと市場調査を支える環境

英国には、市場調査や消費者インサイトに関する成熟したエコシステムがあり、消費者テスト、市場セグメンテーション、商品コンセプト開発、Go-to-Market戦略の改善などを迅速に進めることができます。

Market Research Society(MRS)は、ビジネスや政策判断に必要なデータやエビデンスを収集・分析・活用する専門家のための世界有数の調査関連団体と位置づけられています。調査品質、倫理、手法に関する基準の整備にも取り組んでおり、英国に市場調査の専門的な基盤が確立されていることを示しています。

また英国には、スタートアップから大手企業までの商品開発を支援する食品イノベーション施設もあります。例えば、West London Food Innovation Centreでは、食品・飲料分野のスタートアップや中小企業向けに、新商品開発や商品の配合変更などを支援しています。

Medway Food Innovation Centreも、代替タンパク質、新しい食品加工技術、フレーバー技術、新商品開発、サステナブルパッケージなどの分野で専門的な機能を提供しています。

こうした市場調査能力、小売市場へのアクセス、商品開発支援が組み合わさっていることから、英国はFMCG、フードテック、ウェルネス、健康志向商品などを検証する市場として特に適しています。

海外ブランドの英国市場での展開事例

海外ブランドも、欧州での成長戦略において英国を重要市場として活用してきました。

例えばBeyond Meatは2018年にTescoでBeyond Burgerを発売しました。The Guardianは当時、英国最大のスーパーマーケットであるTescoの350店舗以上で販売されると報じています。その後同社は、Sainsbury’sやWaitroseでの英国販売拡大を含む、欧州全体での小売展開強化も発表しました。

日本のFMCG企業も英国市場への投資を行っています。日本のスナック菓子メーカーであるカルビーは、Seabrook Crispsを傘下に持ち、工場の拡張や設備増強などを通じて英国での生産能力に投資しています。これは、英国が単なる販売市場ではなく、事業運営に関する知見の蓄積、ブランド育成、カテゴリー拡大の拠点としても活用できることを示唆しています。

ただし、これらの事例を「英国が必ず欧州大陸より先に進出すべき市場である」という根拠として捉えるべきではありません。むしろ、英国には充実した小売チャネル、成熟した消費者層、質の高い市場フィードバックを得られる環境があり、それ自体が海外ブランドにとって大きな魅力になっていることを示す事例といえます。

複数市場への展開における戦略的な役割

英国市場の価値は、単独の販売市場としてではなく、より広い欧州戦略の一部として活用することでさらに高まります。

企業は英国市場での販売実績を通じて、自社の商品コンセプトが十分に分かりやすいか、価格設定が市場に適しているか、グローバルブランドや強力なプライベートブランドと競争できるかなどを検証できます。

また、英国とそれ以外の地域で事業を展開する企業にとっては、英国を欧州での商品検証とアジア市場向けのローカライズをつなぐ市場として活用することも考えられます。これは外部データに基づく市場事実というより、戦略上の考え方です。

英国で得られた知見を、パッケージ、商品訴求、販売チャネル、代理店戦略、消費者への商品説明などに反映し、他国への展開判断につなげることに価値があります。

このような意味で、英国は「テスト・アンド・ラーン型」の市場展開を支えることができます。欧州大陸への大規模な投資を行う前に不確実性を減らしながら、それぞれの欧州市場では個別のローカライズが必要であることも同時に認識できます。

まとめ

英国が欧州市場参入の有力な拠点・ベンチマーク市場となる理由は、十分な市場規模、成熟した消費者層、集中した小売チャネル、充実したデータ環境、そして商品開発やイノベーションを支えるビジネス環境を兼ね備えているためです。

特に、プレミアム商品、健康志向商品、サステナブル商品、イノベーションを重視したFMCGブランドにとっては、欧州で本格的に事業を拡大する前に市場での受容性を検証するうえで、英国は非常に有用な市場といえます。

英国を単なる販売先の一つとして捉えるだけでは、その戦略的な価値を十分に活用できません。より重要なのは、英国市場から得られる「シグナル」です。消費者に商品の価値が伝わっているか、小売企業が商業的な可能性を感じているか、価格設定に説得力があるか、そして商品を欧州の他市場向けに適応できるかを検証することができます。

英国市場の本当の価値は、こうした学びを次の市場展開につなげられる点にあります。